ラッキーマンで有名な八代亜紀さん死去。死因の膠原病いつから患っていた?闘病生活の様子は。




歌手

歌手の八代亜紀さんが2023年12月30日に亡くなられたことが報道されました。

「舟歌」「雨の慕情」などの名曲で知られる八代亜紀さんが亡くなられたという事実に驚きを隠せません。

本記事ではそんな八代亜紀さんの晩年の仕事の様子や、代表曲をまとめてみました。




プロフィール

名前八代亜紀
本名橋本明代
生年月日1950年8月29日
年齢73歳
身長162センチ
出身地熊本県
職業演歌歌手

熊本県出身の八代亜紀さんは18歳の頃上京し、銀座のクラブで歌手活動をしていたところ周囲の後押しを受け「愛は死んでも」でレコードデビューを果たします。

芸名の八代はご自身の出身地である八代郡からとって八代亜紀という芸名にされたそうです。

2023年9月より病気を患っていた

2023年9月に膠原病の一種であり、指定難病の抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と、急速進行性間質性肺炎を患っていたことが報道されています。

治療に専念するためと2023年9月12日に年内の活動休止を発表されましたが、惜しくも同年12月30日に逝去されました。

八代亜紀さんの最後のコメント

歌手活動を休止する際、八代亜紀さんは以下のようなコメントをファンの方へ残していました。

「応援してくださっているファンの皆様、関係者の皆様、この度はご心配、ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい。膠原病の治療に専念するため、2023年いっぱいはお仕事をお休みさせていただきます」と報告。「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆様とお会い出来る日を楽しみに頑張ります!」

ニュースサイトより引用

元気な姿を再び見ることが叶わず非常に残念です。

八代亜紀さんの訃報を受け、所属事務所のミリオン企画がコメントを発表されました。

「復帰を目指し治療とリハビリに励んでおりましたが、容態の急変により皆様へこのようなご報告をしなければならなくなりましたことは無念でなりません。療養期間中もスタッフや医療従事者の皆様に『みんなありがとう』と感謝を伝え最期まで八代亜紀らしい人柄が滲み出ておりました。これから先いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思います。」

ニュースサイトより引用

闘病中という苦しい中でも、周囲への気遣いや感謝の言葉を忘れない八代亜紀さんの温かい人柄が伝わってきました。

八代さんご自身は亡くなられても、世に送り出してきた歌や作品は今後も多くの方を元気づけることでしょう。

数々のヒットソング

生前の八代亜紀さんは「演歌の女王」と呼ばれるほどの人気歌手でした。

ファンでなくともサビなどは誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

舟歌(1981年)

雨の慕情(1980年)

雨雨降れ降れもっと降れというフレーズはとても有名かと思います。

ラッキーマンのOPソング

週刊少年ジャンプで連載されていた人気漫画、「ラッキーマン」のアニメのOP曲を歌っていたのが八代亜紀さんでした。

幼かったころの私はこの歌で初めて八代亜紀さんを知ったため、アニメソング歌手だと勘違いをしていました(笑)

当時を思い出して、とても懐かしい気持ちになりますね。

残酷な天使のテーゼ

バラエティ番組においてもその歌唱力を遺憾なく発揮していた八代亜紀さん。

有名なアニメソングの筆頭でもある「残酷な天使のテーゼもカバーされていました。




ネットの反応

八代亜紀さんの訃報を受けてネットの反応はどうでしょうか。

八代亜紀さんと同じく間質性肺炎でお母さまを亡くされた方のコメントを見るに、存命中も苦しみの中で病気と闘われていたことが分かりますね。

バラエティでの少し天然で穏やかな様子でお話をされる八代亜紀さんを見ることが出来ないのが、残念でなりません。

心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

まとめ

今回は歌手の八代亜紀さんの死因や代表曲、ネットの反応などをまとめました。

  • 2023年9月、膠原病を患い入院
  • 同年12月30日死去
  • 代表曲は「舟歌」「雨の慕情」
  • アニメソング「ラッキーマン歌」や「残酷な天使のテーゼ」なども歌唱

ステキな歌を数多く世にお送り出してきた八代亜紀さん。

改めてご冥福をお祈りいたします。

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